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高﨑ゼミ5期 藤島大希&金野賢 奨学金獲得しアメリカへ

更新日:2021年3月27日

藤島と金野の両名が2019 年度「埼玉発世界行き」奨学金 浦和競馬チャレンジ奨学金を得て、アメリカ・Seal Beachにて5週間のインターンシップを行いました。

この奨学金は、地域貢献に対する高い志を有し、国際的な視野や高度な知識・技術の習得を目指す人材の育成を支援し、埼玉から世界へ羽ばたく人材を輩出することを目的に、1か月以上の留学等の海外体験活動をする者に奨学金(給付型)を支給するものです。




藤島大希>>今まで海外に行きたいという気持ちはありましたが、なかなか踏み出すことができず、今回が初めてのアメリカとともに、初めての海外研修ということになりました。 アメリカでは、ほとんど自分達だけの力で生活、学習をしていました。初の海外でサバイバル的に生きた中で強く感じたのは「自分達の当たり前が当たり前ではなく、自分が今までいかに狭い世界で生きてきて、その偏った世界の中で思想を固めてしまっていたのか。」ということです。それは、もちろん理学療法という観点だけでなく、挨拶の仕方一つとっても、アメリカは一番最初から満面の笑みで握手をし、そこから会話を進めていき、初対面でもかなり深い会話をしていくことが多かったように感じました。日本よりも初対面の人との話の進め方がスムーズにいくということを感じました。どうしても年上に対して失礼がないようにすることが美徳という教育を受けてきた私からすると失礼になるのではと感じる部分もありましたが、初対面の人に対する距離の縮め方などは日本との違いを強く感じました。また、アメリカの治安問題を目にしたり、メキシコで10歳くらいの子供達が自分達の生活のために商売をしているという姿も生で見る機会もありました。そのようなことから、自分達がこうやって日々学習に取り組めていることが当たり前ではないということを分かっていたつもりでしたが、本当に身に染みて強く感じました。 今回の研修では理学療法の教育・臨床・研究、ATC課程の教育・現場というものを実際に見学・体験させて頂きました。理学療法教育を見ると、日本では3年か4年でPTの資格を取得できますが、アメリカでは4年間の大学教育でPTの基礎を学び、その後3年間の大学院教育を経た上でPTの資格を取得することができます。僕達はその大学院2年生の方達の授業に参加しました。やはり、理学療法教育の水準の高さについて学ぶことは多かったですが、あくまで断片的であったため、安易な発言はできません。ただ、一番驚いたのは学生の学ぶ意欲の高さ・積極性という部分でした。日本だと受け身になりがちな講義形式の授業においても、学生がしきりに発言や意見を述べ、それに対して先生だけでなく、学生からもどんどん意見が出ていき、活発な議論が行われていましたし、体感的にはクラスにいた全員が発言をしていたのではないかと感じました。その中で、発言をした人だけでなく、クラス全員の学びが深まっていくのを感じ、この積極性という点は日本の教育においても養っていくべき視点だと感じました。 また、理学療法の臨床はseal beach physical therapyさんにお世話になりました。そこで感じたのは、実習生の学生、1年目の理学療法士の方が自信を持って臨床に取り組んでいることです。これは、やはり大学院教育の水準の高さはもちろんのこと、大学院時代から9ヶ月ほどの実習があったり、実際の患者さんに理学療法を行う授業があったりと、臨床に即した環境で学習をしているからではないかと思いました。また、アメリカの教育は「この病態の患者さんには、このような評価を行い、こういう所見だったら、こういうことをすれば何%の人がこのくらいの期間でこのくらい機能が回復する。」といったようなことを最新のエビデンスを基に、ある程度答えとして教えるような教育であると感じました。そのような教育を受けているからこそ、学生や1年目の状態でも何をすればいいかということを自分の中である程度の答えとして持っており、自信があるように見えたのだと思います。しかし、それだとそれに当てはまらなかった人に対して、何をすればいいのか分からなくなってしまうという側面もあるようです。その時にもう一度、解剖学・生理学・運動学などの基礎から立ち返って自分で考えることが大切とのことですが、アメリカ教育を受けるとそこが見えなくなることもあるそうです。日本は「自分で考える教育」、アメリカは「ある程度の答えを教えてもらう教育」であるというように強く感じました。この違いが良いか悪いか、どちらにしなくてはいけないかということではなく、両方の教育を知り、日本の「自分で考えることの強さ」、アメリカの「答えを持ってくる力の強さ」を両方兼ね備えることができるような理学療法的視点を持ちたいと感じました。学生の教育レベルが高いため、卒後すぐの環境ではアメリカのPTの方がレベルは高くなると思いますが、日本でも正しい卒後の勉強をしている人はアメリカのPTに勝りうるし、現に日本にもアメリカのPTよりも勝っている人はたくさんいると思います。どんな環境でも、正しい自己研鑽を続けていれば、結果を出すことできるPTにはなることができるのだと強く感じ、学ぶことの意欲がかなり高まりました。 他にも感じたことはたくさんありましたが、アメリカで1日生活・学習をするだけでも何個もの「違い」を感じ、一個一個に対しての考えを述べていてはここに収まりません。(笑) 最後に一番強く感じたことを述べたいと思います。それは、「やりたいことでも前に出て言葉にしなければ一番下と認識される。」ということです。アメリカでは議論や会話にて取り残される体験が多くありました。僕達の英語力が不足しているということはもちろんですが、分かっていることでも話せなくて、どんどん話が進んでしまったことも多々ありました。恐らく、そのメンバーの中から誰かを選んで何かをしなくてはいけないとなったら、知識量・人間性などは関係なく、その時の僕が選ばれることは間違えなくありえないと思います。つまり、その人が分かっているかどうかなどは他人が確かめることはできないため、「発言をしない人間は戦力としてみなされる訳がない。」ということです。特に日本では、自分は先頭に立とうとしないのに、他人に対して揚げ足を取ろうとするような人がいる気がします。僕もそんな側面を持っていると思います。しかし、国際社会において評価される人間というのは、間違っていたとしても自分の意見を発言することができ、行動をすることのできる人であると思います。大学4年生になるこの時点では、そんな人達から大きく突き放されていると思いますが、それでもここから追いつき、追い越すことはまだギリギリできるのではないかと思います。今までの失敗・ミス・他人からの目を気にして、色々な理由をつけてなかなか踏み出すことのできなかった自分を変えるキッカケになった約1ヶ月だったと確信しています。ここからが本当のスタートだと思いますので、より一層精進していきたいと思います。







 
 
 

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